外国語は、日本語は必須で英語とロシア語はどちらか一つ選択です。

愛知朝鮮中高級学校・中級部14期(1963.3 卒業)写真
5クラス281人 自分がどこにいるかは分かります。
それ以外はさっぱりです。
外国語は、日本語は必須で英語とロシア語はどちらか一つ選択です。ソ連を筆頭に社会主義陣営が存在していた時代なので、ロシア語を選択する学生が多かったです。私は中学ロシア語、高校は英語を選択しました。
ロシア語のアルファベット
А 「ア」Б 「ベ」В 「ヴェ」Г「ゲ」Д 「デ」 Е 「イェ」Ё 「ヨ」と
朝鮮語の母音 ㅏ「ア」ㅑ「ヤ」ㅓ「オ」ㅕ「ヨ」ㅗ「オ」ㅛ「ヨ」ㅜ「ウ」ㅠ「ユ」は
どちらも「ア」から始まるので、よく「あれ、どっちだったかな」と考えたりしました。
数学の「Sine(サイン)・Cosine(コサイン)・Tangent(タンジェント)」は、ロシア語で「Синус
(シヌス)・Косинус(コシヌス)・Тангенс(タンゲンス)」でした。
「%」(パーセント)もロシア語「процент(プロツェント)」の略で「про(プロ)」でした。
日本の学校と同じような授業もありました。代数・幾何、地理・歴史などです。
金日成を個人崇拝する内容の科目は、この当時は未だありませんでした。私の中学・高校は1960.4~1966.3までです。意外とまともでしたよ。因みに金日成の個人崇拝が始まったのは、金正日が朝鮮労動党中央の宣伝扇動部に着任した1968年からです。
ソ連と同じ社会主義国・北朝鮮の影響で、「ダーウィン主義」(進化論)、「人体解剖生理学」なんていう科目もありました。
音楽の時間に朝鮮の歌も習いましたが、ロシア民謡を朝鮮語とロシア語両方で習いました。
今でもロシア民謡トロイカの歌詞「ボットゥムチーツァ トロイカ パチダバーヤ」や、カチューシャの歌詞「ラスベターリ ナブロヌィグルーシ パプリリートゥ マーヌイナードゥレコイ」を覚えています。
今でもプーチンの演説を7割くらい聞き取れます。嘘です。(笑)
おまけ。「生産」という科目がありました。何のことはない、ただ単に屋外で土方仕事をするだけでした。担当教師は、普段は校門で警備をしていた、なんと1世の元“土方”です。本物です。(笑)
在日1世たちは「土方(どかた)」のことをなぜか「노가다(ノガダ)」と呼んでいました。