我々の特別な遊びは、なななんと水泳でした。

我々の水泳場から約1キロ北にあるサイフォンの入り口
②水泳
我々の特別な遊びは、なななんと水泳でした。
移転した愛知郡豊明町(現在は豊明市)の学校の北側で「愛知用水」(1961.9月開通)の工事が進んでいました。
ずーっと北側の丘から南側の丘まで来るのに約1キロ。真ん中の数十メートル低いところを東西に国道1号線と名鉄名古屋本線が走っています。
“サイフォンの原理”というやつですね。数十メートル低いところまでおりた水が同じ高さまで上がって来ます。
完成前、水が流れていないときにサイフォンを降りていきました。200メートルくらい斜めに下って行ったのですが、今にも水が流れてくるような恐怖心が襲ってきて逃げて出てきました。
中2の時、愛知用水が開通したので大喜びして泳ぎました。元祖「流れるプール」です。それも無料です。(笑)木曽川から取水した綺麗な水、とても気持ちのいいものです。
一度は愛知用水に足から飛び込んで牛乳瓶の破片で友人Lが足を切ったことがありました。痛ッ!
愛知用水の周辺の池でも泳ぎました。池はあまり気持ちよくありません。
一番の急流は美濃加茂市の木曽川です。「♪木曽のかけはし、♪太田の渡し・・・」の有った、太田橋の下流あたりです。川を泳いで渡るのに川幅の4倍も5倍も流されるんです。渡ったら川岸を上流のほうに歩いて行ってまた泳いで渡ります。みな泳ぎは達者でしたよ。
岐阜の南市民プールも行きました。ここは夜専門です。そうです。営業終了後の夜間に泳ぐのです。塀を乗り越えて。(笑)
「セコムしてますか?」なんていうしゃれたものはない時代です。見つかったこと一度もありません。
名古屋の名城公園プールにも行きました。めずらしくここはお金を払って泳ぎました。
ホーム水泳場は岐阜市の清流・長良川です。長良橋のすぐ上流、そう鵜飼をやるところです。夕方になると鵜飼見物の屋形船がゆっくりと上流へと上がっていきます。
当時ここは岐阜市の指定水泳場で、夏の水泳シーズンには川原に「海の家」ならぬ「川の家」が10数軒ならびました。そこを利用したこともありますが、シーズンは我々に無関係です。5月から10月までは泳げました。1度は4月に泳いだことあります。
1964年4月に北朝鮮へ帰る李○○(同級生、豚足製造屋の息子)の歓送会として泳ぎました。寒ッ。
「川の家」が無いとき川原の草むらで着替えをして泳ぎ、帰るために草むらに戻るとLの服だけが盗まれて、ないではありませんか。長良橋の南詰にある交番に話をしに行きました。服がないのにどうやって帰ったのか覚えていません。水泳パンツのまま帰ったのかな?
(ブログ8に続く)

サイフォンから南側に出てきた場所(我々の水泳場)